命日
お正月になると世間は浮かれるけれど、1月3日の夜になると、どうしても忘れられない人を思い出す。
―――もう記憶が薄れるくらい前のこの日、先生がこの世を去った。
仕事始めの前日、これから一年も始まろうとするその日、そっと命が消えた。
なんで?っていっぱい疑問符が浮かんだ。
私にだって出来ることがたくさんあったはずなのに、と思って、その考え自体がおこがましい気がして、結局のところ、何もできなかった事実だけが残っている。
今でも思い出すと胸の奥がぎゅっと掴まれたようになる。
先生がお亡くなりになったことはメールで知った。
私はもう大学を離れていたので、先生の同僚で仲の良かったS先生が知らせてくださったおかげだ。
君が大好きな〇君が亡くなりました。の一文が信じられなかった。
日本で、この分野の研究者で、その可能性があるならば、彼だと思う。と周りの先生が冗談めかして言うから、
「先生がノーベル賞を取った時にはパーティーに呼んで下さいね」なんて笑って話していた。研究にまっすぐ向き合う人で、不器用な人。
私が研究室に伺うと触ったものをひとつひとつ、丁寧に元に戻すくらい神経質な人だった。
目の前ですぐに戻したり拭いたりするから、なるべく物には触らないようにしていたけれど、そんな先生の本棚を覗くのも好きで、じっと見ていたら一冊の栄養学関連の本が目についた。珍しいですね。と言うと、僕の姉の本です。と仰られた後、読みたければお貸ししますよ。と。
他人にものを貸すなど想像もつかないくらいの潔癖症なのにもかかわらず、少しうれしそうにしていらしたので、きっとお姉さまのことがとても大切なのだと私まで嬉しくなった。
「汚してしまいそうで申し訳ないから、やめておきます」
というとがっかりした顔をした後で、神経質なところ、やっぱり気になりますか。と言われた。
それも先生の性格のひとつだから、先生が嫌じゃなければ別に私は気にならない。と言ったら、僕も変だといわれるけれども君も変だね。と、笑っていた。
先生方との3時のコーヒータイムの時間。
賢すぎて、私と話すことを無駄な時間だと思ったりしませんか?と聞いたときに
「君の視点はあまりに違いすぎていて面白い」というようなことを言われた。
そんな中で、10年前の飲み会の雑談の一言一言さえ、覚えてるんだよ。ということを同じ研究室の先生に言われていた時に、まさか!と私は笑っていたけれど、ほかの先生方が本当だよ、と口を揃えて言うので、すごい容量ですね。と言ったら、その表現する女子は珍しいよ。と、面白がっていた。
お得じゃないですか。色々と。というと、いい事ばかりじゃないよって言うから、私はいいことだと思う、絶対。って言い返したりもした。
そんな先生の言葉を正確にはもう、思い出せない。
思い出だって頭の中で置き換えられた部分がないとは言えない。
忘れることは人間の才能の一つだというけれど、忘れずに済むことが出来るのなら、
それもやはり才能の一つだと思う。
先生みたいに正確に覚えておくことはできないけれど、せめて書き留めておくことで先生のことを思い出すことが出来るように。
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