gallery talk*20180519
Gallery176という写真家さんたちがされている、写真専門ギャラリーへ行ってきました。
https://176.photos
ここの存在は伊丹市立美術館でのSaulLeiter展とのコラボイベントを開催していたことから知ったのですが、こじんまりとしながらも、伝えたいことのはっきりしている展示をされているようで大好きです。
現在の展示
5月11日(金)〜5月22日(火)
早川知芳写真展「静かの海 Mare Tranquillitatis」
早川さんご自身のアーティストトークをきかせていただきました。
自分の確認作業が、撮影
個人的な雑感としては、音楽では歌詞で具体的に聞き手のイメージを限定することができるけれども、あえて感覚だけで受け止め手に委ねるインストゥルメンタルのようで、見る人が限定的な誰かを知ることや風景を主役にすることに重きを置いていないところがまた特徴的でした。
彼の写真には一定の距離感があり、それらは意図的に距離をとって撮影することを意識しているからだとのこと。
写真を撮る人ならば構図や出来上がりのイメージのときに、
主役となる人や風景に的を絞って撮ることが多いようですが、
彼はあえて風景や人物に寄ってない、一定の距離感を保つことで今までにない釣りの写真の世界を作り上げています。
もちろんコマーシャルベースだったり釣り人を主役に撮る人はいますが、この「釣りをしている人」を撮るだけっていう人はいないそうです。
カメラが3年間でダメになる。
そんな過酷な状況でも、カメラの機動性を重視してカバーなどをせずに撮り続けていることで、
得たこともあるとのこと。
12年間、その軌跡も辿れる写真の数々の中で6メガから36メガへの時系列が分かるのもひとつの特徴となっています。
写真は記録、レコードであり、釣りびととして、写真家として残したいと思ったのが、このシリーズを撮り始めたきっかけだったとのこと。
時代を残す写真
時代を残していくのが写真なら、こういう写真を残していってもいいのではないかと。
その思いは、彼の撮っている「釣り」は港でのんびり、船で沖に出て、のどちらでもなく、海辺を泳ぎ釣り場へとたどり着くような過酷なものに対しての返答もきっかけのひとつだったようだ。
「そこまでして行くのはなんで?」という問いに「そうしないと釣れないし、それがこの釣りのスタンダード」と釣りの先輩から言われたという。
海で亡くなるということ
ある一枚の写真がある。
青黒っぽく、寒さを感じる海の中で中年の男性が釣り竿を片手に波に飲まれている。
波間からは肩より上しか見えず、遠巻きに撮られているのでその表情は見えない。
一見すると、波にさらわれているようにさえ、見える。
それは冬の紀伊半島が舞台で2014年12月24日16時頃に撮られた写真だという。
誰もがその言葉感じるように、海辺は極寒の地である。むしろ水の中の方が温かく安全で、釣り人にとっては積極的に水に入っていく選択肢すらあるという。
夏が過ぎ去り秋の兆しが見え始めた頃、プールなどで水中の方が暖かいと感じた、あの経験に近いようだ。
それでも冬の紀伊半島に入るなど、「釣り」をする人特有の感覚のにしか、感じられないのだが。
もちろんのこと、そんな「釣り」をしている人々の事故も多く、年に2~3人亡くなっているという。
彼らは先ほどの写真から連想されるような、波にのまれて沖に流されて、というような海の事故でなくなるのではないという。
なんてことない岩場でこけて、海に落ちてはまってしまい、動けなくなる。そして低体温症となり、ゆるやかな死を迎えるという。
誰かが発見してくれれば、という日常に潜むような死の迎え方。
朝日の中で黄金色の波を前に、釣り竿を震う写真。
その被写体として写っているのはERの現場で働いている男だという。
ある日、いつもと同じように救急車で運ばれてきた患者は、奇しくも彼自身がよくいく釣り場で、低体温症の状態で発見されたという。
自分の釣り場で、自分と同じように釣りをしていた人間が
目の前で死にかけている。
その彼は影響を受け、1人で「釣り」に行くのはやめたという。
釣りをする人達の中には、わりと1人で行動する者も多い。
やむにやまれぬ衝動
自然と対峙する中でだんだんと感覚が慣れて麻痺していく。
誰かが一緒に居てくれれば。というような環境におかれることも少なくないという。それでも彼らは1人で行くだけの魅力があるという。
海の怖さはふとしたときに気づいてからでは遅く、
緩やかに命を削るような
どんどん中へ中へと引き込まれていき、気がついたときには波に引きずり込まれそうになってもやめられないのだという。
「なぜ?」という写真家の自問自答に出た答えは
「やむにやまれぬ衝動」だという。
釣りと写真、そして人間の本質は似ているという。
起承転結。
釣り場に行き、
釣糸を垂らして魚を釣り、
魚がかかったところで引きあげようと格闘し、
時には釣り上げ、時には逃げられる。
それらは上手くいくこともダメなこともある、
人の人生にさえ似ている。
感想文
なにか好きなものがある人ならば一度は感じたことがある。
好きと狂気との境界線が見えなくなる感覚。
簡単に越えられるような、目に見えないもの。
それらを感覚的に伝えてくれるような写真の数々でした。
人間の感覚の麻痺は日常的な狂気と隣り合わせ。
時には自分を振り替えることも大切だなーと思えた
ひとときでした。
追記
どうでもいいことですが、時代。のあと辺りから
アプリが落ちて文章のデータが飛びました。
勢いで書いていた感じなので、文脈とかそれまでの
流れみたいなものに違和感があったらごめんなさい。
。。。泣きました
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