自動車の未来形を想像してみる。
多分、線路のない電車と同様に
道路自体に走る車が一定数あり、
所有されているものについては
自宅に収容は可能だけれども
大多数の人が所有を必要と感じないくらいに、
フレキシブルな存在になるだろう。
複数名で利用したければ連結を行えばいい。
空間自体は透明な膜のようなもので覆われ、
空調も快適に保たれている。
コミュニケーションの形が直接的な対面を
必ずしも必要としなくなれば、
繋がる必要性は育児中でなければ
そこまでではないかもしれない。
むしろ育児を親がする、という形から
育児ロボットが行うようにある程度シフトするかもしれない。
ほぼ全てが自動運転のため、
人が運転という趣味を行うためだけに
一定の競技場のようなものが出来るのかも知れない。
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