多面的な物の見方
人も物も瞬間ごとに変わることもあれば、
見る人によって変わることもある。
しがらみもある可能性だってあるし、
表だっての違和感を口に出せる人ばかりではなくて、
私は素直に生きられている分、幸せなところも大きくて
だから、、、
ちゃんと考えたい。
相手のことを決めつけないように。
違和感があるときには、特に。
人にはそれぞれの立場と見え方とがある。
そんなことを考えたのは、在宅勤務も含めた働き方が、
恒久的に取り入れられたところとか、
社会のアフターコロナと言われている変化に対しての
動きと感覚と自分の見えている世界と見えていない世界、
色んなものをきちんと全方向性で捉えられているか、
と考えたから。
別にある1つの考え方があって、
それにこだわってもいいと思ってる。
ただ誰かの考え方を否定することはまた違う。
それをちゃんと実行できていないんじゃないかな、と
自分で立ち返って考えた時に感じたから。
例えば自分一人、
自分以外の人でも似た環境の人ばかりが近くにいる、
それがコミュニティを形成していたのが、少し前の時代。
同調圧力があったりするのも、この頃。
自己責任と多様性が浸透してきたのがここ最近な気がする。
それはいいこととか悪いこととか別にして、
そうなってきた、ということ。
だから、まだまだ予断を許さない情勢になりつつある
東京の様子や世界の様子を眺めながら、
人が身体だけでなく心も保つために、
どうしていくことがいいのか。
そんなことを綺麗事や個人の感覚や
賢しらな正義感に囚われることなく、
考えていくことができればいいなと思った。
今日も雨が強く降り続けている。
聴くと安心する声を聴きながら、そんなことを考えていた。
雨の夜には彼の声を聴く。
それが幸せのもと。
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