リスクを考える

コロナの騒ぎで世の中が正常に回らなくなっている。
当たり前だ。

死の危険があまり身の回りで感じられない人が殆どの日本で
快適に働き、生活して、仕事もそれなりにあって
生きるのに困らない人が多い中で、

リーマンショック以来の経済の危機と
命の危険とが両方一気に襲ってきてて、

しかもどちらも今までに想定したことのない事態で
誰も正解がわからない上に解決策も分からない。

安全地帯がどこか分からない。

自分のせいで回りのたくさんの人たちが
命の危険を感じるかもしれないということを
理解しようにも腑に落ちない人だってたくさんいる。


そこで重要視されているのが、
行動に現れるその人の性質。
SPIで測るよりも確実な。


例えばある会社では
「リスクに対してどう動いているか」を
懲罰や解雇で対応するということが
水面下で既に始まっている。

例えば食品関係の会社で働いているAさんが
ノロウイルスにかかった。
理由としては会社から二枚貝にはリスクが高いので
その摂取を避けてほしいとの要請があって、
それを無視してノロウイルスに侵された。
という事実の時に勧告があり、
繰り返すと自覚がないと判定され、

もしアルバイトならば別の人がいるなら
契約更新をしなくなる選択をされ、
契約社員なら契約期間の満了をもって
永年雇用への切り替えを見送られ、
正社員なら昇進の時の、小さなマイナス点になりうる。

その理由が「マイナスポイントが他の人より大きい」と
いうことだったとして、
それをシンプルに、ストレートに
「自粛を求めたことをきちんと出来ない人は
報いを受けるから」
なんて伝えることはしない。

今回のコロナでは行動の自粛や予防に対する行動が同様で、
個人としてはライブハウスに行くことや自粛要請中の外出、
買い占めに対しての規制措置とか行きすぎた場合の罰則。

会社や組織としてはそれに対しての対応、
もしもこの間にそれに対して反する行動を起こしていた会社が
政治的な救済措置に対して受けられないということになったとしても社会的な批判と重ねて、救済もされないことが罰として働く。

社会は複雑だし、
守られている人は守られる。

昔ならその立場に努力してなれるものではなかったけれど
今は努力すればなれる人と
昔からの既得権益の恩恵を受けられる人の
どちらかだったりする。

大きな会社は社会的な影響が大きいから
救済されやすく、
それは本能的にたくさんの人が知っている。

まずはその立場にいけば安全。
ということを知れるかどうか
正しい努力でそこにいけるかどうか、
安全な立場になったときに
転落しないためにどうすればいいのか、
ということを知ることから始まる。

それと同じ事が社会において起きる可能性は高い。



知らなければ、なれない。


そして今はある程度の情報を
きちんとネットに流してくれる人が
ありがたいことに存在していて、
メディアの果たすフィルターをきちんと通った情報という
そのフィルターすら
誰かにとっての既得権益に影響されているかもしれないことを
認識して受け取らないと、
正しく判断できない状況で
知識と判断力とがある程度あれば、
わりと精度の高い情報を手に入れることができる。


かけられるのは自分の命と生活。

あなたの賭けは、正しいところにベットされているのか?

と、自分自身に問いかける週末になりそう。

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